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法華経は私たち未来に向けたまなざし 2012年2月20日号 |
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妙法蓮華経(法華経)の教えは、いったい何を主眼として説かれているのか、という問いを設けながら、あらためて序品から方便品、譬喩品へと順次に拝読する機会を得ています。日頃は、方便品、如来寿量品の二品を中心に読誦したり、さらに要品の読誦であったりするのですが、法華経は、私たちに何を伝えようとされているのか、という視点から拝読することはあまりないようにも思えます。
いま、私自身が考えている法華経を拝読する心がまえとしては、釈尊にまみえる気持ちが大切であるとしています。
中国の天台大師(538−597)が師の南岳慧思禅師(515−577)に邂逅されたとき、慧思禅師は、その昔、インドの霊鷲山において、釈尊の法華経の説法を聴聞した宿縁によって、ふたたびここにおいて出会えたことを告げられました。そのような宗教的情感が、天台大師が一切経の中で、法華経を経王として体系化される根底に存在したと思われます。
さらに、その立場は、日本の伝教大師最澄(767−822)へと受けつがれ、わが日蓮聖人(1222−82)は、天台・伝教のお2人を、霊鷲山における法華経の聴衆として仰がれ(『法華題目鈔』)いますし、聖人ご自身も法華経の会座にあって、釈尊から教えを聴聞し、また仏勅を受けているという宗教的実感を記されています(『開目抄』)。
たしかに、私たちが拝読する法華経の文字は、今日では印刷された黒い文字ではありますが、その文字を通じて釈尊にまみえ、釈尊のみこえ(梵音声)を聴聞できるならば無上の悦びであると思うのです。
ところで、あらためて法華経に釈尊のみこえを聴聞したいと願っても、それは容易なことではありません。そこで、法華経拝読の一つの手だてとして、天台大師が法華経の文文句句を、4つの立場から解釈されている(四釈という方法)『法華文句』を規範とすることを決意しました。もちろん、漢文の典籍は、難解でありますから、昭和11年11月に出版され、さらに浅井円道先生によって昭和55年10月20日改訂されました『国訳一切経』の『法華文句』を依拠とするという方法です。
また、法華経の典籍は、法華経普及会の編集によって、大正13年9月28日京都の平楽寺書店から刊行されている『真訓両読妙法蓮華経並開結』です。この典籍は、上段が真読、下段が訓読となっていますし、法華経の場合、『法華文句』の科文が文章の右肩に付けられているのが特徴的です。その意味において『法華文句』を併せて読むことの利便性に富んでいることは言うまでもありません。
いま、序品第一から、ようやく化城喩品第七へと進んでいます。途中ではありますが、凡夫の私が感じますことは、法華経という経典は、釈尊のかぎりない大慈悲に満ちあふれている教えであるということです。直接的には、釈尊の仏弟子に対する教導ではあるのですが、しかし、それは同時に、私たち未来(釈尊滅後)の人たちに向けられるまなざしでもあるのです。
論ずるまでもなく、法華経は見宝塔品から虚空会に移ります。そこには、釈迦仏と多宝仏、そして十方分身諸仏が来集されています。その中で、従地涌出品に本化の菩薩が涌現されます。
日蓮聖人が久遠の釈尊の勅命をうけられ、末法の導師として、不惜身命のご精神でお題目を伝えられたことの意味も、その涌現にあるように拝察されるのです。 |
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(論説委員・北川前肇) |
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